ゲシュタルト崩壊で見えてくる人間の心

以前にテレビのバラエティ番組で「ゲシュタルト崩壊」という心理学用語を耳にしました。

対象物に対する個別認識能力が極度に上昇した状態をそう呼ぶそうです。

例えば、一つの文字をじっと見つめていると意味のない線の集合に見えてくるという状態がそれです。

嘘だと思ったら、やってみてください。

 

ゲシュタルト崩壊の先に何かある?

たまに誰かの顔をじっと見ていると「誰だこいつ?」みたいな感覚に襲われることがあるのですが、それもゲシュタルト崩壊でしょう。

顔のパーツがそれぞれ個別の物体として認識され、統一感がなくなり、顔が顔であるという認識が薄れて、結果、「見慣れない顔」として映るのです。

 

ところで、ふと思ったのだが。。。

これって、一種のトランス状態?

極度に精神集中した状態とでも言いましょうか。

この状態に陥ると不思議な感覚になります。

 

顔でも文字でも良いのですが、なんらかの対象物に一点集中すると、

少し意識が現実世界から「かい離」したような感覚になるからです。

しかし、この「ゲシュタルト崩壊」という現象は、ただの「あるある話」に留まらず、

もっと人間の能力の深いところに、その本質が隠されているような気がするのです。

 

ヒーラーの顔が魔女に見えた話

さて、とあるヒーリングサロンで、ヒーリングの練習ができると聞いて早速行ってみました。

もう20年くらい前の好奇心満載の若い時の話です。笑

 

しかし自分が期待するほどの成果はなく、

これが最初で最後のヒーリングの練習の経験だったのですが、ひとつだけ面白い出来事がありました。

ヒーリングの講師と向かい合って「気」の練習をしていた時、講師の顔が「魔女」に見えたのです。

ほんの一瞬ではなく、けっこうハッキリと数秒間くらい、まさに絵本に出てくるような「魔女」に見えたのです。

 

「やべえ」と思いましたね。

見ちゃいけないものを見た気分になりました。

 

その時、講師がそれを察してか、「私の顔をじっと見てると魔女に見えてくる、って人がたまにいるんですよ。」だって!笑

ちなみに、その人の顔は魔女とは似ても似つかない顔をしていますが、性格は非常にキツそうな人物でした。

魔女だといわれれば、確かに魔女らしい性格の人でした。

 

ところで、この現象が実は「ゲシュタルト崩壊」であったかもしれないのです。

単なる顔のパーツの個別認識化に留まらず、さらにその先を見てしまったかもしれないのです。

つまり、その人の「内面にある(魔女的な)本質」が、物質的パーツが崩壊したことで、透けて浮き出てきたとも言えます。

 

「物事の本質を見るには、それとよく向かい合って真正面から見つめてみることだ」などと言う人がいますが、

これを文字通り受け取って単に対象を目だけで見続ける人はいないよね。

普通は、「その対象についてよく考えて調べろ」と言う意味も含まれます。

でも、本当に文字通り、ただ目で見つめ続けることで、そのものの本質が見えることがあるのかもしれない。。。

そう思ったのです。

 

旧ドイツ軍のゲシュタルト崩壊の実験

有名な話らしいのですが、このゲシュタルト崩壊を「旧ドイツ陸軍が捕虜のユダヤ人を使って実験した」という話があります。

ユダヤ人を鏡に向かわせて「自分は何者か?」を鏡の中の自分に問わせる。

鏡の中の自分を見続けた被験者は、やがて精神に異常をきたすという結末。。。

 

話の真偽とモラル云々は別として、非常に興味深い実験だと思いました。

我々スピ界の人間としては(いつから?笑)、「人は神である」は、もはや常識と化しています。(ほとんか?笑)

それを察していた同じくスピリチュアル人間と噂されるヒトラーが、それを実証したかったのかもしれないのです。

 

鏡の中の自分を見続けることで、自己崩壊が起きて、その隙間から自らの本質である「神」が現れる。

人間の本質が神であるとすれば、人は、念願の「神」を自分の目で見ることができるのです!

って、なんだかなー、的な推論ですが・・・。苦笑

 

神社の鏡と人間の中の内在神(真実の自分)

さて、たいていの神社には神として鏡が祭られていることは有名な話ですが、

昔の人は鏡の中の自分を見続けることで、そこに神を見ていたのかもしれないなと、ふと思いました。

 

自分自身が「神」と同じ存在であるということに気づかせるために鏡を祭ったのだろうかと。

はたまた、単に何もかもを映し出す鏡の機能的特徴を神と勘違いしたのか。。。

 

自分探しの旅という言葉もありますが、自分自身を見つめて自己を知ることは非常に大切です。

実際に田舎暮らし後の自分の、怖いくらいに物事が順調に進むようになった変化も、

自分の事をよく理解できるようになったからに他ならないです。

 

思うに、鏡を見続けて自己を問うことで「精神崩壊」するというのは、多分ナチスの都市伝説ではないかと。

むしろ、別に鏡など見なくても良いのですが、どんな形にしろ自分自身を問うというのは実は非常~に大切なことなのではないかと。

それは自分の魂のメッセージ(自分の中の本当の自分の声)を生まれて初めて意識して受け取る瞬間にもなりうるからです。

そこで昔の人は、敢えて鏡で自分を見ることで、または神社に鏡を置くことで、

そのことの重要さをわかりやすく大衆に伝えたかったのかもしれないのです。

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