南海トラフ地震で日本は一度滅びた?

2022年となりました。

今年こそは良い年になると良いですね。

言わずもがな、2021年もコロナ騒動で混乱の一年でしたからね。

 

そして、2021年は例年に比べてとても地震が多い年でもありました。

ニュースで何度も報じられましたが、トカラ列島の群発地震の影響です。

そのうち大きな地震があるのではないかというニュースも増えましたね~。

東南海地震、関東直下地震、富士山噴火、これらは以前から警告されていましたが、昨年はテレビやネットで非常によく耳にするようになりました。

どれも起これば日本が潰れるかの如くインパクトのある自然災害です。

 

しかし、日本が潰れるというのは大げさな話ではないと思うのです。

なぜなら、実際に大昔の日本で大地震による国家存亡の危機があったかもしれないからです。

新年一発目のブログが縁起でもない都市伝説で恐縮です。笑

自然災害と歴史の「深い関係」について、興味のある方はぜひお読みください!

 

歴史が変わったのは実は自然災害のせい?

歴史を遡れば、数々の自然災害が日本だけでなく世界を襲っています。

例えば、火山噴火

有名なのは古代ローマ帝国の都市「ポンペイ」です。

映画にもなりましたね。

ベスビオ火山の噴火によって一夜にして滅びた都市。

青森もかつて破局噴火が起こった?

日本でも似たようなことがあったという言い伝えがあります。

以前にブログでも紹介しました、東日流外三郡誌という(偽書とされている)東北・津軽地方の歴史書。

ここには、岩木山の噴火で津軽の原住民(阿曽辺族)の居住地が破壊されたと書かれています。

このような一つの都市や文化を丸ごと破壊してしまうような噴火を「破局噴火」と呼ぶそうです。

実際、最近頻繁に話題にされる富士山噴火が起こったら、火山灰で交通網や電力網などが止まり、日本(の経済)も破局を迎えそうです・・・。

 

ちなみに、最近元気の良い阿蘇山が本気で噴火したら富士山の比ではないとも言われてますね。

リアルに日本が滅びるとも言われています・・・。

以下、富士山の過去の最大規模噴火を1とした場合の、各火山のフルパワー比較です。

富士山 1
北海道駒ヶ岳 3 有珠山 3 樽前山 4 浅間山 4
九重山 5 燧ヶ岳 7
ピナツボ 10
桜島 12
箱根山 14
※横浜まで火砕流に飲み込まれた
摩周湖 19
大雪山 20
十和田湖 56 ※青森県の大半を火砕流が焼き尽くす
霧島山 100
屈斜路湖 150
洞爺湖(有珠山の本体) 170
支笏湖(樽前山の本体) 225 ※火砕流が札幌を飲み込んで日本海に到達
姶良カルデラ(桜島の本体) 450
阿蘇山 600 ※火砕流が九州の4分の3と山口県を焼き尽くす
イエローストーン 2500

富士山のフルパワー(過去の最大規模噴火)を1とした場合の、各火山のフルパワー比較(5ch)

日本の火山だけではありません。

近隣では朝鮮半島の白頭山も噴火すると凄まじい規模になると言われてます。

その噴煙と火山灰で東北地方や北海道は農業が破綻するのではないかとも言われてます。

南海トラフで日本の歴史が変わった?

噴火だけでなく地震も同様です。

2011年の岩手県沖の大地震(東日本大震災)は記憶に新しいところ。

 

でも、長い歴史を見れば、これを超えるような大地震もあったはずで、それが近未来に起こらないとは言えません。

とくに東南海地震は定期的に起こり、次に起こるそれは東海と南海が連動して大規模になると言われてます。

 

そして海溝型の大地震で怖いのは津波でして、これまた2011年の東日本大震災で思い知らされました。

海岸沿いの都市を舐めるように海にさらっていきました。

でも恐らく、東日本大震災による津波よりも東南海地震による津波の方が危険でしょう。

なぜなら東日本大震災では30分後に大津波が来ましたが、南海トラフでは地域によっては2分で到達するのです。

逃げる時間がありません。

 

余談ですが、南海トラフは高知沖、宮崎沖(日向灘)までですが、南西諸島の方にも海溝は続いており、そこも連動する可能性もあります。

石垣島近海で発生した大地震が引き起こした「明和の大津波」では、石垣島の半数の島民が亡くなったそうです。

 

この南海トラフ地震は前述のごとく定期的に発生しており、とくにこの10~30年以内に高い確率で起こるとされています。

そして過去に発生した南海トラフ地震を調べますと、もっとも大きかったのは約2000年前とのこと。

四国南岸にあたる土佐湾のただす池では300年に一回程度大きな津波が確認され、同じ土佐湾の蟹ヶ池では約2000年前の津波は、宝永津波よりも大規模であった可能性が示された。 - 中略 - ここ(蒲生田大池)で明らかになった約2000~2300年前の津波は、過去3000年間で唯一最大の出来事であると考えられる。

地域によって差はあると思いますが、上の記事を読む限り2000年前の津波は非常に大きかったことがわかります。

東海から九州までの太平洋側の都市は甚大な被害を受けたはずです。

 

国が現段階で想定している南海トラフによる津波高は、太平洋に面してない瀬戸内海、大阪湾あたりでさえ4mと巨大です。

もしかしたら2000年前はそれを超えていたかもしれません。

そんな大きな津波がもしも2000年前に発生していたとしたら・・・。

歴史が変わっても不思議ではありません。

崇神天応は実は神武天皇だった?

ところで、2000年前の日本では何が起こっていたのでしょうか。

歴代天皇の年表を見ますと、第10代以降の崇神、垂仁、景行天皇あたりに該当します。

 

ちなみに、日本の歴史の通説では崇神天皇以前の天皇は架空の人物で、実際には実在しなかったと一般的には言われています。

とくに第2代から9代までの天皇は記紀に詳細な記述がほとんどなく、かつ寿命や在位が100年を超えていたりして「欠史八代」と言われて実在性が否定されているのです。

初代の神武天皇でさえ物語上・神話上の「つじつま合わせ」的な人物であり、実在しないという説があるのです。

 

でも、古墳だって比定されているし、割と細かく歴史書に書かれている初代なのに、だからといって神話の中の登場人物に過ぎないと断定するのは無理があるようにも思います。

なんらかのモデル的人物がいたかもしれませんし、または、なんらかの政変が起こって歴史から抹殺(あるいは改ざん)されたかもしれないからです。

ご存知の通り、歴史は勝者が作るものです。

敗者は歴史から消されるか、悪者や凡人に仕立て上げられるかのどちらかです。

 

とすれば、2000年前の東南海地震の大津波で政変が起こったとしたらどうでしょうか。

2000年前の大地震で政権交代があって皇統の系譜が変わったとしたらどうでしょうか?

 

記紀に第2~9代目までの天皇の記述が少ないのは、ちょうど2000年前あたりに歴史が途切れたからではないでしょうか。

それであれば崇神が実質上の初代天皇だったという説も頷けます。

さらには「崇神が神武だった!」という説もありますね。

なぜそのような説が浮上したか。

やはり、約2000年前の南海トラフ大地震で何か大きな政治的イベントが起こったからではないでしょうか。

 

神武天皇より昔の話がないのは不自然

でも、ちょっと解せない矛盾点があります。

それは、以前に「卑弥呼はいった誰なのか?」という記事で書いた歴代天皇の年表です。

卑弥呼が誰に当たるかを探るため、魏志倭人伝の記述をもとに、天皇在位の年表のどこに当たるかを探ってみたのです。

ただし年表を作る際に、25代武烈までの各天皇の在位を平均10年と仮定します。

というのも記紀に書かれている歴代天皇の寿命や在位は時に130歳、150歳、在位100年など、誇張し過ぎていることが明白だからです。

実際はそこまで長生きではないだろうし、政権が安定しない古代で在位100年なんてありえないだろうから在位を現実的な10年に縮めて計算したのです。

 

その在位10年の年表で卑弥呼を比定すると、神話の中に登場する天照大神が妥当ということになるのです。

これは京都大の安本美典氏の説ですが、僕もまったくもって同意です。

 

でも、この説に沿って考えると2000年前は、イザナギ・イザナミの時代、いやそれよりも古いアメノミナカヌシとかタカミムスビとかの時代になってしまいます。

この辺までくると地球というよりも宇宙の神様なので、いよいよリアル神話テイストたっぷりな登場人物なので現実味が薄れます。

しかも2000年前に地球を作った神様が現れたというのに、同年代の世界を見れば既にエジプトやメソポタミアで文明が興っているという・・・。苦笑

日本だけ井の中の蛙にもほどがあります。

2000年前の日本は原始時代?

さらに、2000年前がアメノミナカヌシの時代だとしたら、それ以前は神話さえも存在しない時代なので、つまり日本には誰もいないということになります。

2000年前の日本は国や王という概念さえなく、ただ弥生人や縄文人が原始的生活を送る世界だったことになります。

 

世界を見渡せば、エジプトやメソポタミア、黄河などで文明が栄えた時代に日本だけは弥生・縄文の原始時代?

一般的にはそれが教科書的、常識的な日本の古代史観ですが、でも、よくよく考えると約2000年前は登呂遺跡や吉野ケ里遺跡の時代です。

あれだけの集落があれば、絶対にボスがいるはずで、大なり小なり勢力争いが起きるはずですし、その権威を誇示するため誰かが歴史を残していてもおかしくはないです。

 

さらに古い時代に遡っても、加曾利貝塚のような超・巨大な貝塚が日本に存在したということは、当時既に大都市(大集落)があった可能性もあります。

縄文式土器の芸術的センスを見ても明らかですが、人が多く集まればそこに歴史と文化が生まれるはずでして、その時の歴史の記録が全く何もないというのはイマイチ不自然です。

記紀以外にも多くの歴史上の登場人物がいたはず!

例えば、2000年前には日本各地に小さな国がたくさんありました

それは魏志倭人伝にも書かれている事実です。

日本は統一されておらず、天皇を中心に政治的に1つにまとまっていたわけではないのです。

 

魏志倭人伝では主に女王国がフューチャーされてますが、他にもたくさんの国が日本列島には存在したのです。

そして、それぞれの国ではそれぞれの王がいて、歴史と文化が築かれていたのです。

であれば、それぞれの国の歴史と文化が当然のごとく存在したはずです。

 

しかし常に歴史は勝者が作るものですから、多くの滅びた国の文化と歴史は抹殺されて今に至ります。

とはいえ、完全に抹殺されたわけではなく、勝者が良いとこどりして今に至る可能性もあります。

自らの歴史が古ければ古いほど、周囲(敵)に対して威嚇・誇示できるわけですから、勝者が敗者の歴史を拝借した可能性もあるのです。

例えば、古代の日本を統一したのが新興勢力であれば、それまでの支配者の歴史を我が物にして自らの権威付けに利用することだってあるでしょう。

 

もしかしたら神武や崇神など記紀編纂よりも古い時代の天皇は、同じ日本人でこそあれ現天皇の系譜以外の人物だったかもしれません。

つまり神武以前には様々な登場人物がいて、歴史上とくに目立った他国の人物を「神武」「崇神」などと名前だけ割り当てて、

「ワシらの先祖じゃ!」

歴史をでっち上げた可能性も大いにあるのです。

先代という虎の威を借りたほうが、国民をまとめるのにも好都合ですよね。

古史古伝は偽書だが歴史のヒントになる?

結論としては、記紀には敗北して消えた国の情報が足りてないのは間違いないだろうと思います。

よおし、こうなったら奥の手を出すしかありません!

そうです、古史古伝です!

 

スミマセン、ここから都市伝説色が濃くなります。笑

 

古史古伝は学会では偽書とされて歴史学の研究対象から除外されている歴史書のことです。

先ほど話題に出しました東日流外三郡誌などがそれにあたります。

他にも上記、竹内文書、ホツマツタヘ、富士宮下文書など多くの偽書認定された歴史書が存在します。

 

これらがなぜ偽書とされているかについては様々な理由があります。

主な理由は例えば、古代書の写本と称しているにもかかわらず、古代よりも未来の単語や概念が使われているとか。

つまり、明らかに後世の誰かによって手が加えられていたりするのです。

あるいは神代文字と呼ばれる日本語(または漢字)でない暗号のような文字が使われている、とかが偽書認定の主な理由です。

不都合な真実が書かれた歴史書は偽書扱い

とはいえ、まったくのデタラメかというとそうでもなく、一部の古史古伝には記紀と同様の内容が書かれていたりもします。

中には、記紀よりも細かく描写されている部分もあったりして、もしかしたら記紀がその内容を参照した側なのでは?と疑いたくなったりするケースもあります。

 

実際に記紀は日本全国各地のローカルな歴史書や口伝を収集して編纂されたものであり、現代でこそ偽書と呼ばれる歴史書の内容が当時引用された可能性も否定できません

それに日本書紀では史実について説が分かれる場合は「諸説あり」として本文中で説明しているくらいですから、古代から様々な歴史書が並行して存在したこと自体は事実なのです。

そして、その諸説のどれが真実なのかを記紀編纂者が「勝手に決めた」だけなのです。

まあ「勝手に」は言い過ぎかもしれませんが、でも、全てにおいて確実に裏を取ったかどうかは定かではありません。

つまり、本当の真実は記紀が伝える内容とは異なる可能性も十分にあるのです。

 

もしかしたら、たまたま田舎の名家で保存されていた歴史書が、実は記紀の底本だった可能性も否定できません。

それが不幸なことに先祖の誰かが写本の際にうっかり手を加えたりして偽書認定されてしまったという流れもありえますよね。

 

もしもそうであれば、古史古伝を頭からすべて否定したら貴重な情報を見過ごしてしまいます。

もしかしたら偽書と言われる歴史書にも、卑弥呼や神武・崇神、そして神話の謎を解くヒントが残っているかもしれないのです。

 

実際、出雲大社のその巨大さは神話扱いされていたわけですが、巨大な柱が発掘されたとたんに事実認定されたこともありました。

「出雲大社は巨大すぎる!嘘だ!」のように思われていた神話の一節が、歴史の謎を解くヒント=事実だったという好例です。

 

古史古伝が示すウガヤフキアエズ王朝

それでは実際に古史古伝について具体的に考察したいと思います。

実は古史古伝の一つである上記(ウエツフミ)には、記紀には書かれてない神武以前の歴史が書かれています。

 

上記(ウエツフミ)とは、江戸時代に発見された、豊後国(大分県)守護の大友能直が各種底本を基に編纂したと言われる歴史書です。

大分県といえば卑弥呼の女王国、秦王国ともゆかりの深い場所ですから、なるほど、その地域の歴史書が残っていても不思議ではないです。

実は「上記(ウエツフミ)」に限らず「竹内文書」「富士宮下文書」「九神文書」など古史古伝の多くは神武以前を記しています。

おおかた共通するのは神武以前に約70代にわたる王朝が存在したとしている点です。

 

その王朝をウガヤフキアエズ王朝と呼び、ウガヤフキアエズとはつまり、記紀で言うところの神武の「お父さん」です。

なぜ、記紀では70代に渡るウガヤフキアエズ王朝について何も触れなかったのか。

むしろ、王朝ではなく神武の父として登場させた理由は何なのか?

 

仮に古史古伝が事実としたならば、記紀編纂者たちはウガヤフキアエズ王朝を不都合な真実とみなしたわけです。

つまり、日本の最初の支配者は自分たちでありたかった。

ウガヤフキアエズ王朝が先代の日本の支配者だとすれば、それでは自分たちの威厳が失われてしまうからこそウガヤフキアエズ王朝を抹殺したのでしょう。

しかし、抹殺したとなると大嘘になるから「ウガヤフキアエズ王朝」を無理やり「父」として代々繋げて歴史的権威を高めたのではないかと思うのです。

上記(ウエツフミ)に書かれた南海トラフ大地震

70代に渡るウガヤフキアエズ王朝。

神武以前に70代もの天皇(王)がいたとすれば、なるほど、欠史八代や25代武烈までの100歳を超える長寿の天皇の存在や、異様に長い在位100年も納得です。

本当は神武以前に70代もの歴史があったのに、記紀では無理に一人の天皇の在位を長くして、70代もの空白期間を埋めて不自然な歴史を作った故の副作用(矛盾点)だったのです。

 

となると困ったなあ・・・、以前に書いた卑弥呼=天照大神説がウソになっちゃうなあ~。苦笑

上記ブログでは仮説を実証するために在位を均等に10年に縮めて系図を遡り、卑弥呼=天照大神と比定しました。

でも神武以前の70代分の在位の記述があるなら、それを1代ずつ検証すれば卑弥呼らしい人物、または卑弥呼の時代が推定できることでしょう。

 

とはいえ、このブログでは卑弥呼の謎を探ることが目的ではありません。

今回は日本の歴史が消えた謎を探ることが主題ですので、「卑弥呼誰よ?」問題はまた別の機会に書きたいと思います。

※ 記紀だけで卑弥呼を探ろうと思うと天照大神しかないかなあって思うんですけどね。

 

さて、古史古伝によれば神武の前にウガヤフキアエズ王朝という70代もの天皇(王)たちがいたとされます。

つまり、これにて必然的に2000年前の日本は原始的な弥生人や縄文人が単にウホウホと暮らしていただけではないことが明確になりました。

いっちょまえの王朝が2000年以上前の日本にも存在したのです!

あ、もちろん、古史古伝を事実とすればの話です・・・。苦笑

 

でも、古史古伝が事実を忠実に記録していることを示す記述があるのです。

それが、南海トラフ大地震、東南海地震(と思われる)記述です。

それも上記(ウエツフミ)に記されています。

ここにななそぢひとよのあまつみこのみことのしらせたまエる
むそぢやとせとウなつのみなつのひのとうまりかさなるひのはに
くにのくにくに々 しまのしましま々 ことこと々にふるイておおなイなす 
かれ やまくずれしまくずれておおつちさけてくどろをふく
また はやれのはじめにおおぜ いさごをとばして いねしらほなし
また あすのはる むほぎにけろ くろくもなしからに みなくろほなす
かれ あまつみこのみこと おみのかみたち いたくうれたみたまイて
くにのおおぬさにつかゑまつりて あまつのりのかむこりに つかゑまつりて
あまつかみくにつかみにのみまつりて
ふとまにのみうらわざにつかエたまイき

とても読みにくいのですが、国々、島々が揺れ、山や島が崩れ、大きな地割れができたと読めます。

つまり、とてつもない規模の大地震が起こったという意味ですね。

さらに、その後を読むと、風に乗った砂(火山灰?)で稲や麦が実らずに飢饉が起こったともかかれてます。

つまり、自身の後に大噴火も起きて、当時の王朝の存続を揺るがすほどの大災害となったいうことですね。

神武東征は南海トラフ地震が引き金だった?

そこで前述した過去の南海トラフの話に戻ります。

研究者の見解によれば今から約2000年前に過去3500年で最大の南海トラフ地震が起こったということになっていましたよね。

最大規模の南海トラフ大地震が起こったら、日本はきっと大変な騒ぎになっているに違いありません。

 

そして、この上記(ウエツフミ)の災害の記述こそまさに、2000年前の最大規模の南海トラフ地震を指している可能性があるのです。

歴史の舞台はまさに西日本ですし、西日本全域を大混乱に陥れるような地震となると東南海地震しかありえないですよね。

津波のことは直接的には書かれていませんが、「島が崩れる」などという描写は津波を表しているのではないかと推測されます。

 

上記(ウエツフミ)には、この大災害がいつ起こったかについても書かれており、それがまさに神武東征の直前なのです。

大地震による被害と飢餓が神武東征を引き起こしたと言っても良いかもしれません。

 

ここで大規模自然災害という客観的事実を基に逆算すると、神武東征は2000年前、西暦0年前後の出来事ということになります。

ただし注意すべきは、上記(ウエツフミ)には神武東征や神武天皇、初代などというワードは一切出てきません

神武ではなくて、ただ73代目の「日高狭野」が出陣したとしか書かれていません。

やはり記紀ではストーリーや登場人物が組み替えられている可能性があります。

 

そして、上記(ウエツフミ)によれば大地震と飢餓という大災害に乗じて(?)隣国の新羅が攻めてきたとも書かれています。

さらにビックリ仰天!あのナガスネヒコが新羅と結託してウガヤフキアエズ王朝を滅ぼそうと企むのです。

幸いなことに最終的にナガスネヒコは負けまして、その後、神武に当たる人物がウガヤフキアエズ王朝の73代天皇になります。

 

ただし、そこで上記(ウエツフミ)は終わります。

しかも、上記(ウエツフミ)の最後の章は「穴門(山口県)の不穏な事件」について書かれており、なにやら余韻を残して終わっています

to be continue、っぽい終わり方です。

これが神武の岩戸閉めか?日月神示が思い起こされる

さて、古史古伝の上記(ウエツフミ)版の神武東征ですが、これを読んで真っ先に思い出したのが日月神示の「五度の岩戸閉め」のくだりです。

日月神示についてはこちらのブログをご覧ください。

日月神示はどちらかというと宗教書や予言書であって、歴史書ではないのですが、ところどころ歴史についても触れられています。

つまり、日本という国が過去の歴史で誤った選択をしたことに日本人のカルマがある、みたいな話が語られているのです。

その中でも「岩戸閉め」と称される誤った国家的選択が書かれており、それが過去に5度あったのです。

どれも「外国の魂を入れたのがよろしくない」という日月神示の思想に基づいています。

 

1度目はイザナギ・イザナミの時代。

2度目は天照大神の時代。

3度目はスサノオの時代。

4度目は神武の時代。

5度目は仏教伝来。

 

でも、5度目の仏教伝来以外は、どの部分が外国魂(大和魂の否定)なのかイマイチよくわかりません。

4度目の神武天皇の岩戸締めについても、これを読んだ限りでは、なんのこっちゃよくわかりません。

神武天皇の岩戸閉めは、御自(おんみずか)ら人皇を名乗り給うより他に道なきまでの御働きをなされたからであるぞ。神の世から人の世への移り変りの事柄を、一応、岩戸に隠して神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイハレヒコノミコト)として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸閉めの一つであるぞ。

日月神示

ところが、その具体的な意味が古史古伝に書かれていたのです。

つまりは、上記(ウエツフミ)によれば神武東征はナガスネヒコでなはなく新羅との戦いとも言えたわけですね。

ということは、神武の時代に新羅という外国勢力が日本に入り込んでしまったと考えることもできます。

 

神武天皇は勝利したように見えて、実は、かなり痛手を負って完全勝利とはいかなかったのではないかと。

実際、兄のイツセノミコト(ウエツフミでは72代)を戦死させてますし、記紀でもその苦戦の様子が書かれています。

 

勝ったは勝ったけど、外国勢力と何らかの取引をしたか、または終戦協定で大いに妥協したのかもしれません。

実際、ナガスネヒコの子供は許して逃してますし、他の古史古伝ではナガスネヒコが東北へ逃げたと書かれていたりします。

逃げたのではなく、なんらかの終戦協定=密約が結ばれた可能性もありますよね。

 

また、上記(ウエツフミ)は神武東征を最後に話が突如として途切れていることから察するに、ウガヤフキアエズ王朝の歴史も終わった可能性もあります。

つまり、神武(というかウガヤフキアエズ73代)は直後に暗殺されたのかもしれません。(いちおう74代まで続いたようですが。)

もしくは神武が敵方の将と入れ替わってしまった・・・、という可能性もありますよね。

※ 日月神示と関連付けて読むなら本当は九鬼文書がベターなのですが、九鬼文書は別の機会に書きたいと思います。

富士宮下文書と飛騨の口碑

ここまでの流れを簡単におさらいしますと、南海トラフ大地震で未曽有の国難に陥り、大災害の混乱に乗じて外国勢が攻め込んだ。

よって、神武以前の歴史が改ざん(抹消)されてしまった。

つまり、南海トラフ地震で日本は一度滅びた、そう考えることができます。

 

似たような話が同じ古史古伝の富士宮下文書という歴史書にも書かれています。

細かい部分は若干相違がありますけども、そこではウガヤフキアエズ王朝は九州に作った出先王朝であると書かれています。

本部、つまり高天原は富士山であり、そのふもとにある王朝を日本の中心としています。

しかし出先の九州は外国勢力に何度も攻め込まれ、新羅と中国そして国内の反乱分子が連合軍となり王朝と戦ったとしています。

その際に王朝はたくさんの犠牲を出したと書かれています。

 

また、飛騨の口碑と呼ばれる口伝による伝承でも似たような話が伝えられています。

高天原は飛騨であり、飛騨を中心とした王朝が存在して、そこからヤマト(奈良県)へ遷都する話です。

そしてのヤマトへの遷都の際に反抗したのがヤマトに住むナガスネヒコで、大きな戦争が勃発するのです。

どちらにしても、神武東征で神武(に当たる人物)が大きな苦労と犠牲を払いつつも勝利したストーリーは同じです。

 

ていうか、神武が勝利した歴史は記紀でもまったく同じなんですけどね。

でも、神武の勝利は外国勢力との妥協の産物だったか、または直後に神武は暗殺されて政権は奪取され新たな神武が立ったか。

理由は定かではないものの神武以前の歴史が消されてしまった背景が古史古伝を読むとなんとなく理解できるのです。

 

長くなったので今回は概要までにしますが、いやあー、古代史って面白いですね!

古史古伝については今後も少しづつ考察記事を書きたいのですが、相当な時間がかかると思いますから、ざっくり自分で納得できる範囲に留めようかとは思いますけどね。

以上、ご参考まで!

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