三内丸山遺跡(突然消えた縄文文化)

昔行った旅シリーズです。

今回は2012年の東北・北海道旅行(with 妻とコロスケ)の話です。

 

当時は最初に北海道に行ってから青森に行きました。

青森で色々と観光してきた中の一つが三内丸山遺跡です。

 

ここにはとても思い入れがあるので、

三内丸山遺跡だけピックアップして見どころをご紹介します。

 

三内丸山遺跡は太っ腹(犬も預かってくれる?)

さて、個人的には三内丸山遺跡は縄文遺跡No1と思っておりまして、

いつかは行きたいなと思っていたのですが、

実は一人旅の時に行ったんですよね。

でも遅い時間に行ったため既に閉館していたという悲劇・・・。苦笑

そんな行きそびれた三内丸山遺跡に、

ついに到着しましたー!

超・感激です!

三内丸山遺跡エントランス

ちなみに、三内丸山遺跡は入場無料。

太っ腹なのか、みんなに見てほしいということなのか、ちょっと感動。

※ 2012年当時は無料でしたが、今は有料みたい。

 

さらに、犬を連れていった場合でも、

キャリーケースか犬用カートに入れておけば、

フロントで預かってくれるという好待遇!笑

 

まさかカートにコロスケ婆さんが乗っているとは、

誰も気が付くまい。フハハ。笑

しかしですね、、、2012年当時は犬を預かってくれましたが、

今はもしかしたらペット預り不可かもしれません。

事前に確認してから行ってくださいね。

 

三内丸山遺跡の見どころ(無料ガイドあり)

さて、さっそく遺跡を観光しましょう。

これは三内丸山遺跡の全体模型ですが、

遺跡の復元跡はそれほど広くないので、

半日あれば十分に周れます。

三内丸山遺跡の全体模型

なので無料ガイドについて回れば 、

早すぎず、遅すぎず、ちょうどよい時間でまわれます。

無料ガイドは何分かおきにスタート地点で待っていました。

無料ガイドについて周ろう

と言っても僕らの場合は、

よその観光客のガイドに勝手について行っただけですけどねー。笑

では、三内丸山遺跡の見どころを紹介します。

 

見晴らし台と出雲大社の共通点

さて、三内丸山遺跡と言えば、こちらの見晴らし台です。

シンボルタワーと言っても良いかもしれません。

けっこう大きくて、まるでサスケのアトラクションみたいですが。

三内丸山と言えばこれ!

上の写真は復元でして実物は柱跡のみ。

でも、この柱の跡を見れば、見晴らし台の大きさがわかります。

こんな太い木があるのってくらいデカイ穴。

これを見て最初に連想したのは出雲大社の柱跡です。

見晴らし台の太い柱の跡

出雲大社は、このレベルの柱を3本束ねて社を立てたのですから、

単純に3倍の高さまで耐えられる構造になっているとすれば、

やはり出雲大社はすごい。

 

この見晴らし台でさえ20mあるのですから、

出雲大社が50m近くあったという昔話は、

まったくのウソ(神話)ではなかったわけですね。

 

ちなみに、この見晴らし台跡が発見された時に、

なんと当時の県知事は、

「遺跡なんかどうでもいいから当初の予定通り早く野球場を造れや」

と言ったらしいんですよね。

これはもう死罪に値しますな。笑

 

三内丸山遺跡のベストショット(撮影スポット)

それはさておき下の写真は、

観光ガイドさんお勧めのベストショット撮影位置から取った写真です。

三内丸山遺跡のベストショットらしい

何がベストショットかって、

三内丸山遺跡のメイン遺跡が全部入るってことでしょうね。

たぶん。笑

 

さて、手前のやたらと大きな古民家風の建物の中に入ると、

おしゃれな感じのホールになってました。笑

おしゃれな古民家

ここは「みんなが集まる集会所」だったのではないかと言われていますが、

田舎の公民館よりおしゃれですよね。

しかし、こんなに大きな建物があったなんて、

縄文時代の原始人的な印象が変わりますね。

 

三内丸山遺跡の館内展示(縄文時遊館)

さて、三内丸山遺跡は館内も充実しています。

ていうか、屋外と相対的に見れば館内の方が広い印象がありますね。

怪しいゆるキャラもいたりします。

えーと、名前なんだっけ?丸山君だったかな?そんなわけないな。笑

怪しいゆるキャラ

展示物も一般的な縄文遺跡の博物館並みに充実しています。

ちなみに、下記は土偶の写真ですが、

よくみると全員グレイタイプの宇宙人のような顔をしています。笑

だって縄文人って、こんなにアゴが尖ってないだろうと思うのです。

不思議ですねえ、こいつら何者ですかねえ・・・。

宇宙人のような土偶

こちらはミニチュア土器です。

通常のサイズよりもやたらと小さな土器です。

いったい何のために作られたのでしょうね。

「儀式に使われていた」と言われてますが、

子供が遊びで作ったんじゃねえの?と思ったりして。笑

子供の遊びの土器?

古代遺産というのは、本当にロマンがありますね。

これだから縄文は好きなんです。

 

三内丸山遺跡(縄文文化)の本当のすごさ

さて、三内丸山遺跡は何がすごいかって言うと、

今までの縄文の概念をひっくり返した遺跡であるということです。

 

そもそも三内丸山遺跡が発掘される前は、

縄文時代に農耕はなく狩猟生活オンリーと言われていたのですが、

三内丸山遺跡によって、そうではない事が証明されたのです。

そして、この巨大な集落の跡と、あの6本柱の巨大な建造物。

あれが4000年も前に存在したというのは、すごい発見なのです。

 

あと、個人的にすごいなあと思ったのは、

「武器」が遺跡から出てこなかったということ。

つまり縄文時代には戦争がなかったらしいのです。

 

とすれば日本の縄文時代というのは、

世界に誇れる古代文明の1つであると思うのです。

 

突然、歴史から消える縄文文化の謎

しかし、そのような縄文文化がある時に突然、

姿を消してしまったらしいのです。

どうやら突然、寒冷化して住みにくくなったらしいのです。

つまり縄文時代の東北は今のように寒い土地ではなく、

温暖な気候だったらしいのです。

 

いわゆる「縄文海進」と言って、

海岸線も今より内陸まで及んでいたのは、

氷河が溶け出して海面が上昇するほど温暖だったからです。

 

寒冷化の後、人々は南下していったのでしょうか。

もしかしたら彼らは、神武と戦ったナガスネヒコの子孫だったのかもしれませんねえ。

ところで一説には、「北海道の日高を望む地」という意味で、

日高見(今の北上山地)という地名ができたとされていますが、

富士山に対して富士見と名付けるように、

日高は何かのシンボル的存在だったのでしょうか。

その日高をより間近に望む地としての三内丸山遺跡。

そして、遠くを望む見晴らし台からは日高を眺めたのでしょうか?

寒冷化を避けるように南下していく途中、

北上山地あたりで日高を懐かしんだのでしょうか。

 

その後、もしかしたら温暖な気候を求めて大和地方まで南下したとすれば、

神武と戦ったナガスネヒコは、やはり彼らの子孫だったのかもしれませんね。

いやあ、縄文ロマンですなあ。笑

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